†NOVEL†
 
 夢を見た。現実のようでそうではなくて、届きそうで届かなくて。手を伸ばしても、走って行っても、到達することのできない。周りにはいろんな人がいて、いろんな人が仲良くしてくれて。それなのに、それがなぜかとても遠くに感じた、そんな夢。

 ───その夢で。誰かと楽しく話している自分がいた。
 ───その夢で。親しくしてくれる友達がいた。

 喜んでいた自分がいた。
 怒ることもあった自分がいた。
 哀しいと思える自分がいた。
 楽しんでいた自分がいた。

 ───その夢で。ずっと一緒にいたいと思えた人がいた。



 ───なのに、今はそれには届かない。それは儚い夢であったかのよう。

 儚いモノはすぐに壊れる。ある時何かが絡まるだけで、そのモノは壊れてしまう。これは既に、壊れてしまった『にんぎょう』の話。



 目が覚めれば、いつもの光景だった。ベッドからゆっくりと、何も感じない軽い身を起こすと少し汗をかいていたことが分かった。───そういえば何か嫌な夢を見た気がする。

「………。」

 考えるふりをしてぼーっとしていると、誰かが部屋に入ってきた。その瞬間、気持ちが急に軽くなって楽しくも嬉しくも、熱くもなる。

「ジズ様♪」
「うなされていましたよ?大丈夫でしたか?」
「うん♪ジズ様がいるから平気だよ♪」

 そうして声を掛けられるだけで、とても安心する。そう、声を掛けてくれた相手に『にんぎょう』は抱き着いた。今日最初の抱擁。それがとても心地よく思えて、眠気もすぐになくなった。胸に熱くなるものを感じ、『にんぎょう』は静かに顔を上げる。

「…ジズさま…」
「わかりました。」

 『にんぎょう』は足りない身長を補おうとゆっくりと、儚いほど可憐に舞い上がる。例え飛んでも羽すら零れ落ちるような儚さを抱いて。そんな『にんぎょう』を抱きとめると、そのまま深く口付けを交わす。

「ん…♪」

 しばらくそうしていると満足したのか、『にんぎょう』は静かに唇を離した。

「もう満足ですか?」
「はい♪…ジズ様の朝ご飯が食べたい♪」
「わかりました。ちょうどできています、召し上がりましょう。」

 ジズは白い羽根の生えた『にんぎょう』を抱きかかえたまま、食卓の席へと移動する。『にんぎょう』を正面に座らせ、用意した朝食を机へと並べた。そのまま二人で食事を始めた。朝食らしく軽いもの。パンと小さなオムレツ、それとトマトスープ。『にんぎょう』はそれをとても美味しそうに食べる。

「ん…ジズ様のご飯、今日も美味しいです♪」
「ありがとうございます。」

 食べれば食べるほど壊れていくことに儚い『にんぎょう』は気付かない。その実、『にんぎょう』が食べているこの食事は───『にんぎょう』をさらに人形に近付ける食事だった。

「ジズ様、おかわり♪」
「分かりました。」

 元気がいい様に、『にんぎょう』は言う。ジズは笑いながら静かに立ち上がると『にんぎょう』のお皿を手に取り、キッチンへと向かった。




 彼女は既に私のモノだった。彼女が私の元を離れることは、恐らくはない。なぜなら、私は食事に媚薬を仕込ませている。2週間前、彼女に食べさせたお菓子が最初の一手。私といることで、彼女は幸せを感じる。そう仕組んだ。それから毎日、私の元を離れようとしない…否、離れることのできない彼女に私は心を壊す薬を飲ませ続けている。

 彼女は私の前から離れない。私を好きだという。私といることが幸せだという。───だがそれは薬によって歪められた言葉。彼女が真に好きな相手を私は知っている。しかし、薬を飲ませた時点で彼女の中にその人物はいない。彼女の中にいるのは私だけだ。私が彼女にとっての全て。

 ───そうなるように仕組んだのだから。

 それでも。こんな薬に頼らず、愛されたいと思った。だがそれは彼女の中にあの存在がある限り不可能だった。故に、私はこの手段を取った。
 私は何が欲しかったのか。彼女が欲しかったのか、彼女の愛が欲しかったのか。

 今となってはそれを考えることも、無駄だった。



 お皿に新たに食べ物を入れて、食卓へと戻る。机にそれを置き、『にんぎょう』からのお礼を受け取り、自分も席に着こうとしたその時。二人の前に、一人の吸血鬼が現れた。

「ポエット!…こんなところにいたのか。」

 ふぅ、と安心したような溜め息を付く。その吸血鬼はポエットの後姿を一目見て、それからジズを睨み付けた。『にんぎょう』…、ポエットは吸血鬼からの声に反応することはない。

「ジズ…、どういうことだ?」

 強い怒りを噛み締めた声で、吸血鬼は静かに声を上げる。ジズは座ろうとしていた椅子をしまうと、吸血鬼に向かって一礼した。

「これはこれは、ユーリさん。あなたがこんな朝早くに現れるとは思いませんでした。」
「ジズ!!」

 思わずユーリは声を荒げる。こちらの怒りを完全に無視するように、感情なんて持っていないかのような相手にユーリは怒りをぶつける先を失う。

「すぐに分かりますよ。ポエット、お客様です。お茶の準備でもしてください。」 「お客さん?はい、ジズ様♪」

 そう呼びかけられれば、ポエットは静かに立ち上がりユーリの方を見て小さく笑ってみせ一礼すると、キッチンの方へと走っていった。

 ───私に、一礼しただけだった。

「っ…ジズ…貴様あいつに何をした!」

 吸血鬼として鋭く生えた爪を指ごと強く握り締め、自分の手に刺さるのもお構いなしにユーリは声を張り上げる。ポエットの様子が明らかにおかしい。あんな笑い方見たことがない。あんなに儚い笑いは。

「私は何もしていません。彼女が望んで、ここにいる。ただそれだけですよ。」
「馬鹿な…、そんなはずは…!」
「彼女には…ポエットには私しか見えません、あなたなど見ていないのですよ。ユーリさん。」
「あいつの名を口にするな…!!」

 ジズの言葉に怒り心頭といった感じに声を上げる。───そうしているうちにポエットがティーカップを持って戻ってきた。

「ポエット!!」

 ユーリは戻ってきたポエットを見るなり、その両肩を掴んで彼女の名前を叫んだ。すがる様に荒々しく掴んだせいか、ポエットは持ってきたティーカップを落として割ってしまう。しかし、ユーリはそんなことを気にする余裕などなく、彼女の名を呼び続けた。  ───しかし。

「ごめんなさい、ジズ様。カップ…落としちゃった…」



「───っ」

 本当に。ポエットは私を見ていなかった。唖然として手を離した私を全く見ずに、ポエットは落ちて割れてしまったティーカップの破片を拾い始めた。

「わかりましたか?ユーリさん。」

 私の中で、何かが切れた。
 気付けば。私はジズの胸倉を掴み上げていた。

「乱暴ですね。自分の思い通りにならないとこれですか?」
「黙れ、黙れ!──貴様、ポエットに何をしたんだ!答えろ!!」

 ジズの挑発が私にさらに怒りを走らせる。これは絶対におかしい。こいつが、何かした。それは間違いないはずだ。だから私は殺気をも立たせ、質問した。

「ジズ様!ジズ様!!」

 そんな様子を見て、後ろではポエットが心配をそうな声で叫ぶ。耳障りだった。不快だった。──数日前まで、私の名を呼んでいてくれたのにそれが今は。それがさらに頭にきた。

「お前は黙っていろ!!」
「おやおや…。」

 ポエットにまで罵声を上げる。そんな様子を見たジズは私に胸倉を掴まれているというのに、盛大に溜め息をしてヤレヤレと言った風に首を振る。

「貴様───ッ!」

 怒り任せに、ジズの首を絞めようとしたその時だった。背中に鈍い痛みが走った。



「っ───…」

 何が起こったかわからず、ユーリは手の力を抜きジズを落とした。背中には相変わらず鈍い痛みを感じていた。そしてその痛みは徐々に焼けるような強い痛みに変わってきた。

「ぐっ───ッ」

 次の瞬間、ユーリの背中から何かが引き抜かれた。激痛が走る。頭に上っていた血が急速に引いて、そして立っていられなくなったかのようにその場に膝をついてしまう。

「………。」

 目の前では、ジズが言葉を失っていた。普段何を考えているのか分からないジズがあからさまに驚きという感情を露出している。  ユーリは何が起こったかわからないまま、痛みを堪えゆっくりと振り返った。

 ───そこには、赤く血塗られた凶器を持った天使が立っていた。  赤く血塗られたものは恐らくは自分の血だと、ユーリは瞬時に理解すると同時に、ジズと同じ様に言葉を失った驚きの顔でポエットを見上げた。

「ジズ…様…大丈夫…ですか?」

 ぎこちなく、本当に人形のようにポエットは言った。ユーリは冷えていく身体をゆっくりと動かし、血がなくなってきたせいで冷静になった頭でその手を優しく動かし、今度は静かに自分を刺した天使を抱いた。

「ポエ──、私は────」

 出血は想像以上に多かった。最後の力を振り絞って口に出した言葉も途切れ途切れだった。ユーリはゆっくりと顔を上げる。そこにはポエットの───無表情なのに、こっちを見て涙を流している顔があった───



 ───ポエット───。

 涙は私に向けられたものだった。───そこで、私の意識は途切れた。





 目を覚ますと、そこは自分の城…そして自分の部屋だった。どうやら昼間らしく、まだ眠い。ゆっくり身体を起こそうとすると、背中に痛みが走った。

 それで、思い出した。

「ポエット…!」
「っと、目を覚ましたかと思えばいきなり…。ビックリするじゃないっすか。」

 すぐ近くにアッシュがいた。

「もう大丈夫っすか?すごい怪我だったっんすけどね。」
「…、どうなってる?私はなぜここにいるんだ?」
「ああ、気を失ってたんっすよね。簡単に説明するっすよ。」

 アッシュの話によれば、気を失ったユーリとポエットの二人をお城へ運んできてくれたという。その際、ユーリの瀕死の傷に対して治療薬をくれたらしい。ポエットの方はすぐに目が覚めるとのことだった。

「傷が治りが早いのも、一重にジズさんの薬とユーリさんの吸血鬼としての再生力っすね。でも、一体何があったんすか?」
「……──、ポエットは?」
「へ?あ…あぁ、ポエットちゃんならテラスにいるっすよ。元気がないみたいっすけど───」

 それを聞いてユーリはすぐにベッドから立ち上がった。背中に走る痛みなど無視する。こんな痛みに構っている暇も、寝ている暇もない。

「ちょっと!まだ寝てなきゃダメっすよ!!傷が───」
「構わん、すまないな。行ってくる──」

 引きとめようとするアッシュを無視して、ユーリは自室を急いで後にする。
 ポエットはテラスにいる、ジズの家で様子がおかしかったポエットのままなのか───それとも。

「ポエット!!」

 テラスにはアッシュの言葉どおり、白い天使がいた。翼を広げ遠くの空を眺めていた。そんな儚い後姿に、ユーリは声を掛ける。
 ゆっくりと振り向くポエットは、声の主がすぐに誰か分かったのか、後悔と…そして怯えるような目でこちらを振り返った。

「ユーリ…。」

 小さく、小さく…聞こえないくらい小さな声でポエットは呟く。まるで、その名を口にすることが罪だという風に。だがこれで確信が持てた。このポエットは私が知っているポエットだった。

「私なら大丈夫だ。怪我も治ったし、怒ってもいない。」

 安心させるように、できる限り優しく声を掛ける。しかしポエットはふるふると弱々しく首を横に振った。今にも泣き出しそうな声で、俯いたまま小さく言う。

「…ユーリ、刺したんだよ…?」
「わかってる…、だがそれはお前が本気で私を殺そうとしてやったことじゃない。」
「でもっ───」

 ついには。彼女は泣き出してしまう。
 ポエットは自分がユーリを刺した時のことを覚えていたのだ。自分の好きな人を、自分で殺しかけた。そのことを大きな罪として自分に課していた。

「ポエット───!」

 気が付けば、ユーリはその小さな身体を抱きしめていた。人形であったポエットではなく、本物のポエットを。ポエットの気持ちは分からなくもなかった。意識がないうちに他人を殺してしまう恐怖。それは、ユーリにとって吸血衝動で主人格が消滅しているうちに友人や、ポエットを殺してしまうのではないかという恐怖に似ていた。

「ユ…リ…」

 今にも壊れてしまいそうな弱々しい心を持った天使を、ユーリは守るように抱きしめた。天使は小さく、本当に小さく…泣き出しそうになるのを必死に抑え自分の好きな人の名を呼んだ。

「ポエット…ユーリと一緒にいて…いいの?」
「…ポエット、お前の仕事はなんだ?」

 質問を質問で返され、ポエットはえっ、と少し首を傾げる。考えるまでもなく、天使は───

「ポエットの仕事は…みんなを幸せにすること…。」
「そうだ。そして私の幸せとは、お前と一緒にいることだ。」

 真実を口にした。そこに嘘はない。ユーリにとってはポエットが好きだった。かけがえのない存在だった。

「───っ、みんなを幸せにするなら…ユーリも幸せにしてあげなくちゃ、だね。」
「そういうことだ。だから───」
「うん…、ポエット…ずっとユーリといる───。ポエットも、一緒にいたいから───。」

 泣きながら笑顔を見せるポエットを愛らしく思い、ユーリは強く、強く、きっと痛いくらいに…心ある天使を抱きしめた。

 もう離さない。絶対に。この先何があっても。






 あれほど薬を仕込ませて、それでも天使の心を完全に束縛することはできなかった。最後の最後、天使は己自身で呪縛を解いた。あの時流した涙はその証拠だった。結局私は何も手に入れることはできなかった。もとより何もないこの身。私には無が相応しいというのか。それともただ、道を違えただけだというのか。私にはわからない。私はなぜ、吸血鬼を助け、天使の毒を解毒したのか、わからない。

 ───ただ、もう一度天使の笑顔を見たいと思った。今度は、本当の幸せに満ちた顔を。


*コメント


はーい、これはちょっと長いですね。お疲れ様です。挫折しませんでしたか?
出血シーンがあるのでD区分とかいう奴です。まぁ文章だけなので正直、気にすることでもないと思いますけれども。んー、ユリ×ポエでごめんなさい。
 



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